八百鮮

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SHOWTIME SHOW 仕入れで魅せるエンターテイメント
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HISTORY

街の小さな八百屋は、 こうして成長を遂げた。

八百鮮の軌跡を、代表・市原の思いとともに創業からご紹介。
「八百屋らしくない八百屋」は、どのようにして生まれ、どのような戦略とともに
成長を続けてきたのか。決して一筋縄では行かなかったこれまでの歴史を明らかに。

FOUNDING PERIOD

創業期

友人との誓いを果たし、個人事業主 「八百屋マンマーケット 野田本店」創業

代表・市原が、大学時代の友人だった副代表・岩崎を誘い、大阪・野田に八百屋を開店。大学時代に「3年後に会社を経営しよう」と誓い合った二人の念願が叶う瞬間でした。当時の「八百屋マンマーケット」という名前は「そんなに深く考えず決めてしまった」とのこと。

無限の鮮度で勝負をかける。 「株式会社 八百鮮」 創業

個人事業主を創業した1年後、株式会社としてはじめて「八百鮮」を創業。名前の由来は「八百屋と鮮魚」と「八百万(やおよろず)の鮮度」を掛け合わせたもの。「無限の鮮度が集まる店にしたい」という思いとともに、シンプルに、潔く勝負する。その哲学が、名前にも根付いています。

「アルバイトの若者が活躍できる場を」 初の春日出店出店

当時、4~5名のアルバイトとともに店舗を運営していた八百鮮。売り上げは低迷していたものの、「八百鮮で働いてもらっているアルバイトに、なんとかして活躍の場を作りたい」と春日出の地に2号店を出店。この店で仕入れなどを任されるようになったアルバイトのほとんどが、今も八百鮮で幹部・店長として働いています。

新店を出店するも、 「経営ごっこ」と叱られる

創業以来徐々に伸びた売り上げは、創業4期目で6億円に届こうかという見込みでした。しかしそれは、普通では考えられない安売りを続けた結果。営業利益は200万円しか残らない、超「薄利多売」ビジネスだったのです。その現状を市原が昔働いていたスーパーマーケットの社長に相談したところ、「お前がやっているのは経営ごっこだ。モノが売れる喜びはわかっていても、利益が出る喜びがわかっていない」と叱られてしまったのです。

INNOVATION PERIOD

革新期

名古屋川原通店で 精肉の仕入れに初挑戦。利益激増へ 精肉の仕入れに初挑戦。 利益激増へ

前職の社長への相談を機に「うちが今度閉鎖する店舗を譲渡するから、その土地で経営を学んでみなさい」と言われた市原。大阪の地から、一気に名古屋の地へ進出しました。同時に、加工の手間が少なく、省スペースで販売できるなど数多くのメリットがある精肉部門に初挑戦。肉の取り扱いに慣れたプロたちを雇い、なんとこの年の売り上げは6億→14億へ。利益も0.3%から1%に増やすなど、大まかな経営改善を図りました。

インパクトと効率をモノにせよ。 三国店を出店し、 利益をさらに倍に

川原通店で精肉や日配を成功させた八百鮮。大阪・三国の地に八百鮮最大クラスの店舗を構え、大阪で磨いた仕入れ力、名古屋で磨いた精肉・日配の販売ノウハウを融合させる戦法にうって出ました。インパクトと効率を両立する経営は見事にはまり、利益率は前年の1%から2%に上昇。小売業界ではあり得ない「1年で利益率を倍にする」という快挙を実現したのです。

大量離職事件を機に、 ビジョンマップ・新卒採用で ビジョンマップ・ 新卒採用で 組織の立て直しを決意。

組織が急拡大する一方で、スタッフが5名同時に離職。原因は、会社の目指すべき場所があやふやになってしまったことにありました。「自分はなぜ八百鮮を経営したいのか?」と言う原点に立ち返り、「八百屋で今までにないものを世の中に生み出したい」そんな理想に深く共感してくれる社員を採用するために新卒採用を開始。また、同時期にビジョンマップを作り「なぜ経営を行うのか?」を言語化し、全社に共有しました。

RECONSTRUCTION

再構築期

オーナーの地位を捨て、 バローグループへ参画。

30億円の売り上げを達成し、更なる拡大を狙う八百鮮の前に立ちはだかったのは融資枠の限界。1店舗を開くのに1億円がかかる現状だと、どれだけ利益を上げ続けても拡大に限界が来る。このままじゃ「日本一かっこいい八百屋」なんて夢のままだ。そんな時「一緒に関西を攻めよう」と手を差し伸べたのが東海地区最大の小売会社「バローグループ」でした。市原も初めは「自分がオーナー権を失ってもいいのか」と考えたものの、ビジョン実現のためにはそんなこだわりは必要ないと決断。バローグループへの参画を決めたのです。

「ホームセンター戦略」で 名古屋北店出店。

きっかけは、大手ホームセンター「コーナン」がバローに「ホームセンターの敷地内でスーパーマーケットを開店しませんか」と声をかけたことでした。用意された敷地は200坪。とうてい、スーパーマーケットが出店できる広さではありませんでした。断りの連絡を入れようとしていたバローに「スーパーマーケットではなく、八百屋ならできます。」と交渉し、出店する権利を勝ち取ったのです。「ホームセンター×八百屋」という異色の組み合わせが話題を生み、両店舗の来場者数は急増しました。

初のM&A戦略へ挑戦。 一挙3店舗を開設へ。

売上60億円が達成目前となる中で、八百鮮に特大のチャンスが回ってきました。神戸で経営不振に陥っていたスーパーマーケットの買収の話題が八百鮮に回ってきたのです。「スーパーマーケットが八百屋に変わったら、こんなにカッコよくなるのか」そんな話題を街に巻き起こすため、二つ返事で一挙3店舗を引き取ることを決定しました。

FUTURE

今後10年で売り上げ300億円を突破する。
もちろん、AIではなく「人間の力」で。
関東進出はもちろん、日本中に
商売の面白さを広め続ける。

普通の人生は送りたくない。 だったら、八百屋の道がある。

八百鮮で、
ぶっ飛べ。
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